INTERVIEW

視覚と嗅覚を科学して無限空間を楽しむ

川向-まず、ODS-R 第11 回の企画を引き受けるときに、どんなことをお考えになったのか、そこからお話しいただけますか。

ヨコミゾ-やはり、今、自分の関心のあることから離れることはできません。ですから、日頃の仕事ではできないことを、この場で試してみたいと思いました。それは2つあって、1つは現実の条件、例えば、法律とか地球の重力とか、そういうものに妨げられてできないことです。もう1つは、自分がイメージしたものがストレートに実現できない。ふさわしい素材が見つけられないとか、形にするためのスタディの方法が思いつかないなどの理由からです。この2つのもどかしさが常にありますが、できるだけそれらから開放されるようなものをやってみたいと考えました。

自分を包み込む、無限に広がる空間

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川向-では、関心のある、手がけてみたいテーマとは何ですか。

ヨコミゾ-無限に広がり、境目がなく、どこまでも広がっていって自分自身が包み込まれるような空間でしょうか。例えば、海の中にダイブしたときとか、夜の砂漠とか。もしかしたら全宇宙に自分しかいないのではと感じるような瞬間は、感覚が高揚しているときなど日常生活の中でもあります。普段見えているものがすごく遠くに感じ、音もはるかかなたから聞こえてくるように思えて、一瞬ワクワクするような、そういう感覚を空間化できたらいいなと思ったのです。吉本隆明の『ハイ・イメージ論』(1989)に出てくる、天井ギリギリの所から自分が寝ている姿を見下ろしている視点とか、電車の中からビルで働いている人が見えて、その向こう側のビルで働いている人も見え、さらに向こうの向こうの向こうまで見えるような瞬間とか、そういう普段われわれが意識しない視点みたいなものを、現代テクノロジーによって一瞬手に入れたりする面白さともいえますが、そんなものを試してみたい。

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川向-日常の向こうとか隙間に広がっている不思議な空間に、偶然に出合ったと感じることは、確かにあります。いくつもの条件の重なりで、ある一瞬に、ほとんど偶然のように出合う。それは、単純に光と闇、明るさと暗さといったものを空間的につくってみるのとは、全然違います。なるほど、「白い闇」とは、そういうものですか。ジェームズ・タレルにも同じような試みがあります。彼も、「宇宙の広がり。通常意識しない状態の光」と言っています。モダンアートには、サイエンスあるいはテクノロジーとの協働で、日常では出合わない宇宙、世界を体験可能にする、あるいは、そういったものに対する人間の新しい感じ方を開拓することが含まれていたように思うのですが、「白い闇」も同じ系譜に立つといえますね。さて、では「白い闇」をどう具体的につくっていくのですか。

ホワイトアウトあるいは暗闇順応

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ヨコミゾ-つくり出したかったのは、人が昼間、静かにまぶたを閉じた状態です。まぶたを閉じた状態では、何も見えていないが、実は、何か見えているんです。それは、空間において定量的に数字で書き表せるようなものではないし、物理的なものは存在しない。おそらくは、意識の中に残っている残像みたいなものの積み重ねだけで、それを色で表現しようと思えば、やっぱり、やや青みを帯びた昼間の太陽光の白でしょうか。雪山で起きるホワイトアウトという現象に似て、上下左右の方向感覚を失わせるようなものです。

川向-闇の中でポワーッと明るく白く見えてくるという意味では、安藤忠雄さんとタレルのコラボレーションによる、直島の「南寺」(1999)が一番近いと思いますね。体験的にはまったく同じですが、企画としての「白い闇」展は、空間に無限の広がりを感じさせるために、われわれを包み込む空間そのものからエッジを消すなど、用意する空間の形態や色をもっと積極的に考えています。包み込まれる体験が、タレルよりもさらに一歩進んでいます。

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ヨコミゾ-闇に目が慣れていく体験型のインスタレーションは、私自身も、過去に手がけています。「colony」(デジタルPBX / 2001 青木淳著『原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か』に掲載)では闇をつくり、闇の中で次第に見えてくる暗闇順応を体験してもらったのです。今回は、闇ではなく白くホワイトアウトした状態、上下左右の区別がない霧の中のような状態をつくりたかった。身体の中に潜在する宇宙的なものにかかわるような作品をつくることに関心がある点では、タレルに共感する部分もあります。できれば、視覚に由来する空間体験でなく、全感覚を起動させざるを得ないようなものを目指したいと思いました。

川向-星空の美しさとか、太陽が昇り、沈むときの美しさ、そこで感じる宇宙の大きさやある種の憧れをただ自然現象として体験するだけではなく、建築・アートの世界で凝縮し、より強烈な印象を与えることも、人類がずっと願ってきたことですね。

闇と光~宇宙につながる内部空間

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ヨコミゾ-建築でいえば、きちんと内部と外部を隔てる機能性や、形に意味を付与する論理性の獲得を建築家がずっとやってきたとすれば、今、それらに加えて、日常的な感覚を超えるもの、形では表すことのできないものにもう少し関心を持ってもいいのかもしれません。

川向-北川原温さんの「中村キース・ヘリング美術館」(2007)や三分一博志さんの「犬島精錬所美術館」(2008)では、意図的に暗闇を導入しています。一般の鑑賞者が入るミュージアムに暗闇を導入して、まさに包み込まれる空間そのものが、鑑賞といいますか体験といいますか、その対象になっているわけです。人間の意識とか心理への働きかけが、アートの目的・手段になってきている。建築の環境工学の領域でも、日常の生活や仕事に必要な明るさを考えたり、便利で効率的な照明方法を考えたりする次元から、人間の意識とか心理との関係で光、照明を考える次元へと関心がシフトしています。非日常とか偶然の世界がどんどん侵入してきて、結果として、光とか照明が生み出す環境が、非常に多様になっています。そういう意味で、アートとサイエンスが融合していて、美術館が環境実験室になったり、環境実験室が美術館のようになったりと、面白い時代になってきました。今回の「白い闇」というのは、すごく洗練されたアートの世界ではありますが、どこか環境実験室の延長みたいなところがあります。展示場所がオカムラのショールームの打合せコーナーですから、まさに日常のオフィス空間で、徹夜明けの早朝に出合うかもしれない状況がつくられているようで、そこがすごく面白いと思いました。

ヨコミゾ-現代美術の流れの1つに、サイトスペシフィックというのがありますが、サイトとして、あの場所は創作意欲をかき立てる場所ではありません。でも、そのことが逆に着想のきっかけにもなりました。

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川向-サイトとして無機的で、無性格な場所ですね。でも、美術館のホワイトキューブでもない。まさにオフィス空間です。どこか、都市空間そのものにも思えて、私は、けっこう面白い空間だなあと思えるようになっています(笑)。

ヨコミゾ-20 世紀半ばから美術館の展示室はホワイトキューブが定番化していて、ホワイトキューブを前提に作品をつくるアーティストもいます。それはそれで、ある性格を持った1つの環境になっていると思うのです。ところが、オフィスの打合せコーナーは、どう考えてもアーティストを刺激する空間ではないですね。アニッシュ・カプーアとヘルツォーク&ド・ムーロンとのコラボレーションプロジェクト「56 Leonard」で、ニューヨークのコンドミニアムの一番下でシルバーの球体がブチュッとつぶれて地面との間に挟まったような作品があります。それに似て、宇宙のように全方向に無限に広がるものが、あのオフィス空間の低い天井高に合わせ、つぶれて挟まれている感じでしょうか。だから今回の無限に広がる空間の提案は、実在する空間の特性を逆手に取ったところがあります。

川向-結果として、閉じて内部空間をつくった上で、内部に無限の広がりをつくり出す。日常の光空間ではなく「白い闇」を使う。

ヨコミゾ-光はあるけれども、どこからやってきているのかわからない光です。「白い闇」という言葉は、多木浩二さんが伊東(豊雄)さんの「中野本町の家」(1976)で、「この住宅の内部は白い闇だ」って、夢中になってシャッターを切ったという逸話からきています。