INTERVIEW

水と花で、〈からまりしろ〉を生体化する

川向-オカムラのショールームを使っての、建築以外の表現者とのコラボレーションをお願いしましたが、この依頼を受けて、最初にどんなことをお考えになりましたか。

〈からまりしろ〉

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平田-今、一番関心のあることをやりなさい、というお題がありましたから、生きている世界と建築をつなげる方法を考えたいと思いました。もともと生き物の世界に関心があって、生物学者になりたいと思ったこともありました。人間という生き物のつくる建築が、その根本のところで、生物の世界に近づくことは自然だと考えています。20 世紀の近代建築は、自然や環境と切り離し、独立した秩序をつくることを理想としていましたが、21 世紀には異なる理想が掲げられるべきだと思います。建築も生物世界とつながっているという考え方から生まれる本当の意味でエコロジカルな建築をつくろうとするならば、20 世紀とは違う概念によってアプローチしなければならない。僕は、この21 世紀の新しい課題に正面から取り組みたい。20 世紀の近代建築が「空間」をつくり、それを人工的にコントロールすることを目指したとすれば、僕は、例えば、1本の木に小動物が暮らし、鳥が巣をつくり、そこに植物が生えたりして、さまざまな生き物がからまっていくように、さまざまな〈からまりしろ〉をつくることを目指したいのです。〈からまりしろ〉が最大化していくような建築が生き物の秩序に近いのではないかという仮説を立てた本『建築とは〈からまりしろ〉をつくることである』(2011)も書きました。

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川向-平田さんにお願いしたのは、〈からまりしろ〉という概念が、大きな環境から建築、インテリア、そして私たちの身体に近いところまで、いくつもの次元に共通する現象を捉えていて、これが、これからの建築全般にとっても、このODS-R の企画構想にとっても、とても大切だと思ったからです。

平田-ありがとうございます。「Flow_er」展が行われた2012 年は、東日本大震災の翌年でもあり、より根本的なレベルで〈からまりしろ〉の問題を考え直そうとしていたときでした。建築を、単に内部機能の充足のための器械としてではなく、例えばその屋根ひとつにしても、雨水が流れてできる自然地形に近い、まさに〈からまりしろ〉として考えるならば、人間と自然のどんな新しい関係が生まれるか。屋根を流れた雨水は、やがて自然地形の上を流れていきます。人工物と自然がさまざまなレベルでからまり合い、つながることによって、水の流れ、空気の流れ、人やほかの生物の動きが成り立っています。さまざまなものが、互いに、からまり合う。これが生き物の世界であって、建築もその一部だと考えようとしています。ODS-R でも、この〈からまりしろ〉、特に建築と水の流れ、植物の関係にフォーカスしたアイデアをインスタレーションで表現することを考えました。そして当時、実際の建築の仕事でもコラボレーションし始めていた塚田さんに、ODS-R のコラボレーターをお願いすることにしました。

コラボレーション~ 水と緑の世界へ

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川向-われわれの生きる〈世界〉のあるべき姿を、その内部に入って実際に体験できる建築とかインスタレーションによって示す。この〈世界〉の構築には、塚田さんのような異種の知識・技術を持つコラボレーター、つまり、最終的に目指すところは同じだが、異なるアプローチをとるがゆえに互いに触発し合い、啓発し合えるコラボレーターがいたほうがいい。それが平田さんの場合は、塚田さんです。実際の建築設計でも、またこのODS-R でも、塚田さんをコラボレーターに選ばれた理由をもう少し説明してください。

平田-塚田さんとは、言葉に対するアプローチが正反対といってもいいほど違うのです。たまに、思ってもみなかったような言葉のつながりに気づかされて、刺激を受ける。特に、塚田さんが「みづ(旧かな遣いでは水を「みづ」と表す)」と「みどり」の語源は同じだし「緑は水の一形態なんだよね」とおっしゃったのはとても印象的でした。そう言われて、川を上から見ると、なるほど、樹形になっています。植物は根から幹へと吸い上げた水を枝分かれさせ、最後に空中に解き放ちます。川や植物が水に形態を与えているのです。そんなところからアイデアの原形が少しずつ見えてきました。空気中の1点から水を落とすと、何も抵抗のない場所では、まっすぐに落ちていきます。〈からまりしろ〉がない状態だといえます。「Flow_er」展では逆に〈からまりしろ〉を設けて、植物の幹から枝へと分岐するように水が広がりながら、ゆっくりと時間をかけて少しずつ落ちていきます。どうしたらできるだけ滞空時間を長くすることができるかを考えました。山に雨が降り、ゆっくりしみ込んで地下水となり、川となって流れていく。あるいは木が根から雨水をゆっくり吸い上げて、細かくして空気中に放つ。この水の変形過程の途中に、緑があり、人間の身体があり、さらに建築がある。そんなことを、ODS-R でやりたいなと思いました。

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川向-これらの話を受けて、塚田さんは、どんな構想を持たれたのですか。

塚田-平田さんの〈からまりしろ〉という考え方に共鳴しました。立て花は「依り代」が原形ともいわれています。「しろ」は依り代とか、糊代ともいうように余地のある場所、何かを受け入れる空いた場所、そんな意味を持つと思います。そこには植物や鳥の声がからんでいく。そんな場所とからむことで生命体が根を張り、場所が生き生きする。平田さんがおっしゃったように、水と緑の話をしました。「みづ」と「みどり」は語根が一緒です。水もまた、からまり、しみ込み、満ちていくわけですが、何より命の源ですよね。植物から水が抜ければしおれ、やがて枯れる。それは命が「離れる」ことでもあります。しかし、枯れると乾いて軽くなって、次の命の生まれる場所になります。また緑は、水の循環装置であり収集装置でもあります。震災後ということもありまして「風土」のことを集中的に考えていた時期でもありました。水がからまってできるこの透明な風景は山であり、水に浮く島であり、まさに日本列島の模型でした。日本の作庭に見られるように水のもたらす情緒を反映させたものにしたいと思いました。水がからまりつつ落ちていく風景が、精神的な意味を帯びた〈山〉となり、同時に〈島〉にもなるようなストーリーを考えたい。それは複雑な地形を持ち、海に囲まれた日本列島の原型のようにも見え始め、同時にそこに多様な植物がからんできます。この水と緑の風景づくりには、生け花や庭づくりの手法を敷衍して使えるのではないかと考えました。

からむことで、ゆっくり流れる

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川向-平田さんの構想の中心に、広がり、からんで、ゆっくりと時間をかけて流れる水のイメージがあります。緑の内部にも、水は広がり、からみ、ゆっくり流れる。

平田-流れているものを取り出して、顕在化させることを今、「(仮称)太田駅北口駅前文化交流施設」で試みています。ここでは主に人の流れがテーマになっています。群馬県太田市ではほとんどの人が車に乗って移動するので、駅前は閑散としています。車で目的地から目的地に移動し、郊外型ショッピングセンターの中だけを歩きます。町を歩く人がいて、からまることで初めて市街地もにぎわう。ところが現実は逆で、人は速いスピードで通り過ぎ、からみ合っていない。そういう状況に一石を投じようとしています。