INTERVIEW

〈ぼよよん〉という現象そのものを組み立てる

川向-最初に、オカムラのショールームを使って、今、最もやりたいことに挑戦することと、どなたか建築家以外の表現者とコラボレーションすることの2つをお願いしました。それを受けて、どのようなことをお考えになりましたか。

安定から不安定へ~〈ゆらぐ〉

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青木-僕が展示をした2011 年は、東日本大震災が起きるという、すごく特殊な年でした。もちろん、地震を予測していたわけではありませんが、1月に提案したテーマは、まるで地震のあとに立てた企画のようでした。ちょうど「青森県立美術館」(2006)で、4 月から開催する展覧会「青木淳×杉戸洋 はっぱとはらっぱ」(震災の影響で中止)の企画も終盤に差しかかっていた時期です。「青森県立美術館」の5 周年と東北新幹線が新青森まで延びることなど、明るい未来と平和がいっぱいの時期でした。しかし、僕たちは平和で確実な地盤の上に生きているのではなくて、実はどこか、もろくて危うい状況に生きているのではないかという思いがありました。ですから、杉戸さんと一緒に、平和に見える裏側に蠢くゆがんでいるものに焦点を当てようと考えていました。僕は、ゆらぐ小屋をつくろうとしていたし、杉戸さんは、ゆがんだ家の絵ばかり描いていました。ゆがんだものは普通、ネガティブなものだけれども、もしかすると、それは、美しいものなのかもしれないし、より快適なものなのかもしれない。〈ゆがむ〉とか〈動く〉ことで、堅固でない空間が実はすてきな空間だと思えるようになるかもしれない。このODS-R でも、現象的にはまったく違うけれど、狙うところは同じでした。一番やりたいことをどうぞ、とお聞きして、僕が最初に思ったのはこういうことでした。

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川向-面白いですね。私が今、研究している18 世紀後半というのはやがてフランス革命が勃発する時代ですが、美術史上はロココ様式で、宮廷趣味を反映した繊細で優美な曲線的装飾が表層を飾る時代でした。迫り来る動乱、価値大変動の直前にあって、美に対立する概念として醜が問われるようになる時代でもありました。古典的な美しい輪郭を持つ以前の、むしろ怪奇で恐ろしげだが、一体的で個性と生命にあふれたものを求める時代です。

青木-時代性という点でいえば、1 月に阪神淡路大震災、3 月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた年であり、またWindows 95 が発表されコンピュータの世界が大きく開けた年だった1995 年も、大きな節目の年でした。僕も、この95 年の阪神淡路大震災で、僕たちの世の中は盤石に見えるけれど、実はそうではないと気づかされたひとりです。震災のあと、被災地に行って、新幹線で東京駅に帰ってきたとき、突然、目の前の何でもない状況も一皮むけば廃墟なのだと思い至ったのです。その後、次第に危機感は薄れ、生ぬるい平和が続いて、2011 年3 月11 日の大震災になります。

自己完結したフォルムを超えて~〈雲〉

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青木-もちろん、ずっとそんなパースペクティブで考え続けていたわけではありませんが、あとから振り返って考えてみると、結果的には〈雲〉とか〈歪んでいるもの〉とか、形を持っているように見えて、実は、その形が仮そめにすぎないものに関心を持ち続けていたようです。しかも、それをポジティブなものとしてですね。

川向-コラボレーターを選び、交渉する段階では、どのようなことをお考えになりましたか?

青木-すでに、ハイアット リージェンシー 大阪のチャペル「白い教会」(2006)で、鋼製リングを使った〈雲〉みたいなものをつくった経験がありました。構造形式としては立体トラスですが、単位部材にリングを使うことで、直線材ではなく曲線材の組合せになっています。リングの弓のような曲線のおかげで、弾性が生まれ、一般的なトラスと比べて、柔らかい構造になっています。もちろん、建築物なので動きませんが、その〈動〉という性格を拡張して、もっ

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と大きくて柔らかいものが、時々、動いたらどうなるだろうかと考えました。風が吹いたり人が触れたりすることで動くといいなと思ったときに、「MASAKI CLINIC」(2007)でインタラクティブなシステムの部分をつくってもらった松山さんを思い浮かべました。

川向-青木さんから、そのような問いかけがあったときに、コラボレーターとして松山さんは、どのようにお考えになりましたか。

松山-今回のお話を頂いて、「白い教会」を拝見し、固いはずの建物が柔らかいという点がすごく面白いなと興味を持ちまして、その柔らかさをうまく見せる方法を考えました。例えば、リングの構造を水面に見立て、平面状に構成し天井から吊す。すると動きが波紋のように広がるのではないか。さらに、その動きをセンシングして光で強調していけば、微小な動きも見せられる。そこから吊すという方向に展開していきました。

インタラクティブな素材・空間・システム

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川向-なるほど。古典的な静性もしくは安定性に対する問いかけでしょうか。青木さんのおっしゃる構想を受けて、人の身体の動きに合わせて変容するインタラクティブな素材や空間やシステムの探究へと進むわけですね。

青木-木造家屋の2階は、身体を動かすと床がきしみ、微妙に建物が揺れますよね。あれを「気持ち悪い」と思うのか、それとも「気持ちいい」と思うのか。今の僕は「気持ちいい」と感じるのですが、前は、揺れるのが不安で「気持ち悪い」と感じていました。しかし安全面が確保されていることがわかっていれば、揺れることをポジティブに受け止め、楽しむことができます。ハンモックも、揺れることが楽しいですよね。揺れるものとか動くものも、ネガティブからポジティブに受け止める方向に変えることができるわけで。感覚をその方向に、もう少し先に進めたかったのです。

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川向-それは、とても重要なお話です。まちづくりで、日本の古い木造家屋を残すか壊すかが、まさにそのポジティブに受け止めるか、ネガティブに受け止めるかに関係しています。固くて、びくともしない床や壁で、どこにも空気の抜け道がない完全密閉の空間を、われわれは無意識のうちに理想とするようになっています。長い近代化の歴史が、そういう身体感覚や意識をつくり上げたのです。そこから変えないと、建築的に見て素晴らしいと思う古い木造建築が、いとも簡単に壊されて、コンクリートの箱に置き換えられてしまいます。揺らぎ、メリメリもミシミシもあり、適当に隙間風もある。自然の中に、周囲に負担をかけない軽さと弱さで存在すること自体が、どれほど環境にとっても人間にとってもいいことかが理解されないと、本当の意味での環境問題は解決しません。私が青木さんのスタンスに共感するのは、われわれの近代化によって変容した身体感覚や意識のありように疑問を投げかけるところです。

〈ぼよよん〉という現象

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青木-ただ、揺れるとしても、平和で身の安全が保障されていることが前提ですよね。3.11 の大地震を体験した直後だと、建物が揺れるとか動くということは、怖いことでしかない。だから、単に自分が立っている環境が動き揺れるということだけでなく、それをどう許容してもらえるようなものにできるか、いや、それ以上に、それを快適でポジティブなものにまで価値転換を引き起こせるか、というようなことを、〈ぼよよん〉で考えようとしたのです。

川向-〈動く環境〉そのものの提案ですね。言葉でいうのは簡単ですが、動き方によって快適にも不快にもなります。不安をかき立てたり不気味だったりすることは避けたい。動いても揺れても、それが快適で、心地よいものでありたい。そこから〈ぼよよん〉という擬態語が考え出されたわけですね。誰もが気持ちよくポジティブに受け止める動き・揺れとしての〈ぼよよん〉。

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青木-そうですね。日本語では擬態語を書き言葉でもよく使うけれど、英語ではあまりないですね。よく言えば、状況を感覚的に捉え、分析的にではなく、曖昧になってしまうかもしれないけれど、その感覚のまま伝えようとする姿勢が日本語にはあります。だから、日本語の擬態語には、言葉で説明してしまったら失われてしまうような感覚の微妙な差異が含まれます。「ぼよよん」と「ぽよよん」は違うし、「ぼよん」とも「ぽよん」とも違う。それで、松山さんが「ぼよよんとは何か?」と言い始めて、いろいろな材料を使って〈ぼよよん〉の映像を撮ることになりました。どう動くのが、〈ぼよよん〉なのか。〈ぼよよん〉という現象の分析に進むわけです。