CONCEPT

OVERVIEW

第3回
AWARENESS 今日の結界

企画建築家
芦原太郎
コラボレーター
山田宗徧
開催期間
2005年7月14日(木)~7月29日(金)

非日常によって感性をリセットする 芦原太郎

初めて家元の茶会に招かれた後に私の体に残ったもの、それは爽快な静寂だった。門をくぐり、庭を歩き、茶をいただく。その一連の行為に身体を通して五感が解放された。お茶を飲む以前よりも感覚が敏感になっていた。つまり、感性がリセットされたのだ。現代社会にあって、このような状況を体験できる機会は極めて少ない。だが、この騒々しい現代社会を生きる人にこそ、この非日常という名のリセットを日常的な生活の中で体感してほしかった。これは感性の覚醒を促す現代茶道の試みである。

至福のひと時 川向正人

岡倉天心の『茶の本』によれば、茶の宗匠は、茶室で獲得された高度の純化によって日常生活を律しようと努め、その衣服のかたちや色彩、身のこなし、歩き方のすべてが彼の芸術的人格の表現であった。茶の宗匠は、自らが美しくなければ美に近づく資格がないと考えて、芸術家以上の何ものかに、いや、芸術自体になろうとした。だから歴史的に見ても、茶の宗匠たちは建築・庭・陶器・織物・絵画などの多岐にわたって芸術に貢献したのである。
芦原太郎が協働者に選んだ茶道家元の山田宗徧は、まさに天心が描いた歴史上の「茶の宗匠」のような人物である。芦原は、2週間に及ぶインスタレーション/パフォーマンスを構想するに当たって、まず、「ショールーム」を通常とは異なる美的秩序で律することのできる強烈な芸術的人格を求めたのである。そして実際に、オフィス・ワーカーが仕事の合間に利用する喫茶空間、そこで使われる茶道具、茶を点ててサービスするスタッフの服装や所作、そのすべてが山田の美意識によって律せられた。
芦原と山田が建築として用意したのは、伝統的な茶室の写し、新たに創作された茶室、そしてカウンター式の抹茶バールという3種類の

喫茶空間であって、いずれも一辺2メートルの白い立方体の中につくられた。茶室に不可欠の露地も、丸石を直に床の上に並べた石庭の中を進んで行く形で構成された。いずれも「本物の」建築と庭であって、優れた職人たちの手によって施工された。山田は、永い年月を感じさせる使い込まれた茶道具をそれとなく、ここかしこに置いた。
山田が好んだのは、写しの茶室でも創作茶室でもなく、客と亭主との「出あい」と「飲む」という行為に焦点を当てた抹茶バールであった。イタリアの街角のバールのように客はカウンターに立ったままで、抹茶を飲む。立って茶を飲むというのは、茶道の伝統に見ない形式である。だが、ほんの一瞬、立ち寄って一服の茶を飲み、そして立ち去る、つまり、飲む一瞬に時間と空間が濃縮される。身体の内奥に茶がストレートに染み渡る。きわめてシンプルに意志のままに動く解き放たれた状態で、茶を味わう至福のひと時をもつことができる。茶の宗匠たちが追い求めた一つの究極の姿が、ここにある。
茶道と同時に、茶道を支える「美」「自由」「自然」「身体」といった芸術の根本原理とも出あえる場所の誕生であった。

芦原太郎(あしはら たろう)

1950年東京生まれ
1974年東京藝術大学美術学部建築科卒業
1976年東京大学大学院建築学修士課程修了
芦原建築設計研究所勤務を経て
1985年芦原太郎建築事務所設立、代表
2003年芦原建築設計研究所代表に就任
市民参加型のワークショップ手法を設計に取り入れた「白石市立白石第2小学校」をはじめ「F-HOUSE」「水島サロン」「公立刈田綜合病院」「西五軒町再開発計画」など個人邸から公共建築まで幅広く設計を手がける
新日本建築家協会新人賞、建築業協会賞 (BCS賞) 日本建築学会作品選奨ほか受賞多数
まちづくり活動、他分野との商品開発実験などにも取り組んでおり各種委員・審査員や大学での指導などの社会的活動も精力的におこなっている

山田宗編 (やまだ そうへん)

21歳で、父親の死去に伴い11世になる。24歳で宗徧襲名。桐島ローランドとの共著で『宗徧風』発刊。
茶道は、師匠、空間、道具、点前、許状で成り立ち、宗徧流茶道の魅力は「稽古」であり、稽古の魅力の核は「師匠」と考え、美しい身体の動かし方と茶道具という美術品の扱いが身につく「点前」の上達と知識の向上、師匠や同門との触れ合いの中での人間的成長をする宗徧流へと、稽古法の現代化を図っています。